先にホームページに「SAYONARAベーカー先生」と題し故ジュリアス・ベーカー先生の葬儀の模様を書きましたが、昨年12月に日本フルート協会の会報に「ベーカー先生の思い出」と題して一文を寄せました。こちらは私が先生の音楽やフルートをどの様に感じたのかが主となっていますので、重複する部分もありますが、フルート協会の会員以外の皆さんにもお読みいただきたく、掲載する事にしました。尚、こちらは多少加筆補正してあります。 又、この3月24日(木)に新大阪のムラマツ・リサイタル・ホール、25日(金)は東京のパウエル・フルート・ジャパン・アーティスト・サロンでベーカー先生の追悼コンサートを開催します。私の親しいフルーティストの友人や先生による手作りのコンサートです。詳細はホームページのスケジュール・コーナーに情報を載せますので、どうぞそちらをご覧いただければと思います。 |
「ジュリアス・ベーカー先生の思い出」 私は1980年から現在までニューヨークに在住し、べーカー先生が1984年にニューヨーク・フィルを引退されるまでの最後の4年間、先生の演奏をオーケストラの中で聴くことができたのは本当にラッキーでした。ブラームス、バルトーク、ラベル等の作品のソロパートを耳にする度にその澄んだサウンドと完璧なテクニック、そして普段は全く聞こえていないかのような音がソロになった途端「出るときには出る」その存在感に圧倒され続けていたのを昨日の様に憶えています。 ベーカー先生には沢山のエピソードがありますが、その中から15年ほど前のものを一つご紹介したいと思います。それはジェームス・ゴルウェイがジュリアード音楽院にべーカー先生を訪ねた時の事です。「ジミーがきたぞ!みんな集まれ!」と先生のお声掛かりで先生のスタジオで「即席マスタークラス」が開かれました。ゴルウェイのエネルギッシュなレッスンはゴールドの笛を自由自在に「吹きまくる」という趣で、私も含めて何人かの学生がレッスンを受けましたが、クラスの最後はべーカー先生とゴルウェイのデュエットという「豪華版」で締めくくられました。 当時のゴルウェイはクーパー製のゴールド、他方べーカー先生は古いパウエルのシルバーのフルートでしたが、この事だけでも(一体どんな演奏になるのだろう?)と私や皆は興味津々でした。曲はシュルツ作曲「Sonata for 2 Flutes」。文章でその時の様子を伝えるのは至難の業ですが、挑みかかるようなゴルウェイの音楽を「柳に風」と受け流しつつ、自分のパートがメロディーになると逆に鋭く切り込んでゆくという正しく「変幻自在」という言葉がぴったりのべーカー先生のアンサンブル感覚が大変強烈な印象として今でも思い出されます。 べーカー先生の演奏の特徴を私なりに挙げるなら、その音楽作りの中に何か人の意表を突く要素が混じっていることです。一例を挙げるなら、チェリストのヨー・ヨー・マがニューヨーク・フィルとドボルザークのチェロ協奏曲を演奏した際、第一楽章でのフルートとの有名な掛け合いでフルートが中音のファ#からオクターブのジャンプするところで、常識的にはレガートでスムースに登り音を小さく(ディミヌエンド)するところを、高音のF#にアクセントをつけて強調し、ピカッと輝くような新鮮な響きを作られたのには大いに驚かされました。(この時の録音は私の大好きなものの一つです)この演奏が本当に良い例で、私達がしばしば耳にする「こう吹かねばならない」「こう吹くのがベストだ」という主張とはある意味対極的な「こう吹いてなぜいけないんだい?」という「問いかけ」がそこにはあります。演奏の「ユニークさ」や「自分らしさ」に重きを置いている先生の方針が良く分かります。 アメリカの教育の中では「人真似をしない」が大原則です。先生はある日のマスター・クラスで一人の受講生に「君の演奏はまるでランパルの様だ。しかし、ランパルと言う存在がある以上君の演奏は唯の『コピー』にすぎない。」とおっしゃったことがあります。先生の「独創性」に対する実に厳しい姿勢を示していると言って良いでしょう。 「モイーズは虹だ」「ニコレは森だ」という言葉(比喩)を覚えています。その演奏と音楽をおよそ良く言い当てていると思いますが、ではベーカー先生の場合はどうでしょうか?私は「ベーカーは『富士』だ」と喩えたいと思います。 富士山と言えば春には桜を随え、夏の夕暮れには赤く染まり、秋には稲穂を見下ろし、冬には寒風に雪を頂き、それぞれの季節に真っ青な空に映え厳しい自然を体現しながらも人々は機会が許せばそこに登り、日の出を仰ぎ、遥か彼方の雲海を見渡すこともできる山です。その「高さ」は信仰の対象となり得るだけの厳しさを保っていますが、エベレストやヒマラヤのように容易に人を寄せ付けない「峻厳」なものではありません。 音楽家に例えましょう。私は「自分にも、他人にも、そして聴衆にも厳しい演奏家」を何人も知っています。それらをもって芸術家の本来の姿であると思い込む人がいてもとりたてて不思議な事ではありませんし、特に日本では「音楽家」「演奏家」「芸術家」と名が付けばその傾向が顕著と思います。しかし私自身はベーカー先生に接し、真の「厳しさ」とは富士山の様にそそり立ち、人々が仰ぎ見る存在ではあっても、その頂上に登る事が出来、素晴らしい眺望を私達に分け与えてくれる「懐の深さ」と表裏な関係にあることを確信しました。 富士山に降り注ぐ雨は長い時を経て地層を通過し、その湧き出でた水は風光明媚な裾野の湖を作り、近くの泉を手にすくえば私達の乾いた喉を涼やかに潤してくれます。ベーカー先生は1917年生まれ、20世紀のど真ん中を生き抜かれ、大恐慌、第二次大戦、ベトナム戦争というアメリカや世界にとって大きな変化の時代を過ごしてこられました。私にとってベーカー先生のサウンドや演奏とは先生の「心」、「精神」、「美意識」という幾重もの層を通って地表に出て、今現在に生きる私達に何か大きな活力を与えてくれる正しく「湧水、泉水」なのです。 私は二十世紀の偉大なフルーティスト、音楽家であるベーカー先生と本当に短い間でしたがレッスンで薫陶を受け、ルース夫人とは女房育子共々折に触れて親しく交流させていただけたことを真の幸運と感じています。 とりとめのない文章となってしまいましたが、最後に縁あって日本人として唯一人先生の葬儀に参列することが叶った事への心情と体験を交え、心に残ったすばらしい葬儀の様子を私のホームページに掲載しました。興味のある方にはご一読いただければ幸いです。
相場皓一(フルーティスト ジュリアード音楽院大学院卒 在ニューヨーク)
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