「2004年の思い出、
 そして2005年の新たな出発」


 
 


2005年 の元旦は穏やかなお天気となったニューヨークです。皆さん如何お過ごしでしょうか。2004年は日本にとって、また世界にとっても激動の年となってしまった様です。ブッシュ大統領の自信に満ちた「戦争終結宣言」を嘲笑う様に一向に納まらないイラク戦争の後始末、そんな中で吹奏楽の指導を通した教え子がイラクに於ける初の日本人人質の一人となった驚きと衝撃、更にその後の日本人と日本政府の反応、対応の後味の悪さが特に印象に残ります。この夏の記録的な猛暑は地球温暖化など自分にとって無関係と思っていた大部分の日本人にとってその後の天変地異を暗示する出来事だったのでしょうか。11月に起こった新潟の中越大地震、そしてクリスマス直後に起こったスマトラ沖大地震が代表格と言えるでしょう。更に一歩踏み込んで政治の領域に目を向ければ、北朝鮮の拉致被害者の中でも数奇な運命と国益渦巻く世界外交の中で翻弄され続けたとしか言いようがないジェンキンスさん曽我ひとみさんご夫妻の去就。「貴方の娘の遺骨だ」と渡されたものが鑑定の結果別人であった事に対する日本政府の無気力、弱腰の対応に接した時、他の目や自分の都合のみに囚われた結果「真正の怒り」を表現出来なくなった日本の政治家の情け無さが心に強く焼き付きました。平和を享受しただけで育もうとせず、その恩恵への感謝や検証をなおざりにした結果は子供や老人を狙った犯罪の激増、凶悪化として留まる事を知らない模様です。


そんな中、 私は今年から日本に活動拠点を移します。在米24年を一つの区切りとして日本に帰り、自分が勉強し経験し、消化した音楽を基に演奏、指導を主として様々な活動を展開する予定です。思い出せば片道切符で降り立ったニューヨークは私を厳しくも温かく迎えてくれました。「人間(音楽)を計る物差し」を幾つも持たせてくれました。それに因み、帰国に当たっての今年のキーワードを「『人間力』をつける」と定めようと思います。
 

「人間力」 の定義は「自分が決断し、実行した事の結果を自分で引き受ける」です。もちろん「硬いこと」ばかりでなく「明るく、楽しく、音楽する力」も含まれます。更に「古き良きものを伝える力」と付け加えましょう。芸術に於いて「『無』から『有』は生じない」つまり美を感じ創る事とは「継承」であり、ジュリアード音楽院でのサミュエル・バロン先生、ジュリアス・ベーカー先生との出会いと別れ、はたまたカラヤン、バーンスタイン、オーマンディ等の20世紀に活躍した大指揮者達の最後に活躍した時期とを同じくし、その「美」を実体験としてこの耳に刻み付けられたのは正しく幸運でした。



インターネット の発達で「情報」は瞬時に地球を飛び回る事が可能になりました。しかしその「情報」を分析、消化し、この世に役に立たせる事が出来るのはただ「人間」のみと言えるでしょう。一人の人間として音楽の仲間達と協調、調和し今年からの新生活をスタートしたいと思います。
 

  2005年1月

相場皓一   


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