泉の様に
 
年が明けて あっという間に一ヶ月が過ぎてしまった様な気がするこの頃です。ホームページの訪問者も何時の間にやら500人を越え、もしも自分の力だけで500人もの人に情報を提供しようとすればどれほどの時間と費用がかかるかを考えてみれば、改めてインターネットの威力を感じない訳には行きません。「それでは…」と何か力こぶを入れて書こうとするとコンピューターの前で腕組みするばかりなので、当地ニューヨークで起った事、自分自身が経験、体験、見聞きした事をなるべく簡潔につづり「継続」に力点を置こうと思いを新たにしています。
 

その第一弾 は1月22日夜久し振りにヴァイオリニスト五嶋みどりさんの演奏を聴いた事を書きましょう。彼女はこれまた久し振りにニューヨーク・フィル(以下NYP)に登場した同楽団の元音楽監督ズービン・メータの指揮の下、エルガーのヴァイオリン協奏曲を演奏しました。昨年末に彼女から招待をいただいたので、女房共々氷点下のマンハッタンにムクムクと膨れた「重装備」で出かけました。

 

前半の オール・ウェーベルン・プロではNYPの実力(特に木管と金管セクション)とメータのこれ以上無いと思われる明晰な指揮が本来難解至極、複雑怪奇、屁理屈で固まったような音楽であるはずのウェーベルンのスコアから限りない「美」を引き出し、その音楽を十二分に堪能しました。思うのですが、およそ「現代音楽が難解」と言うある巷の固定概念はオーケストラの各楽員の実力と指揮者の力量に大いに関係があります。要は下手なオケはモーツアルトやベートーベンの音楽に、ある意味演奏内容が大作曲家達の「音楽そのものの力(パワー)」に救われますが、現代音楽(少なくとも20世紀以降の音楽)は実際の演奏においてそのマージン(救い)が希薄です。(注 これは現代音楽に『内容が無い』と言う意味ではありませんので念のため)古典音楽とは異なる複雑なスコアから音楽を作る時は各楽器とセクションにおける音色の質の高さ(クオリティー)、和音の整った響き、スコアに書かれたリズムを正確に演奏できるか否か、作曲家の意図は何かを楽譜から読み取る演奏者(指揮者)の力量が露になってしまいます。より率直に言えば「頭と腕と心を日頃柔軟に鍛えてないと訳が分からんモノが出てくる」という厳しさを一面に持つのが『現代音楽の演奏』と言って過言ではありません。
 

楽しみに していた後半のエルガーは協奏曲としては非常に難解な、つまりオーケストラの伴奏に乗ってヴァイオリンが綺麗なメロディーを弾いて名人芸を披露するといったものとはまるで違うあたかも独立した交響曲を聴くようなものと言って良いでしょう。
 

みどりさん のソロが始まりしばらくして、アヴェリー・フィッシャー・ホールは水を打ったような静けさに包まれ始めました。第一楽章が終る頃には自分も含めた聴衆の耳が鋭く研ぎ澄まされ、視界の中にはオーケストラの団員一人一人の表情すら見えてくるような錯覚が起ります。オーケストラの弦の響きに包まれた第二楽章のゆったりとしたメロディーはあたかも泉から懇々と清水が湧き出るような、ソロもオケもひたすらに音楽を紡ぎ出し続け、ホールの聴衆はその湧き続ける音楽に身も心も浸している今風に言えば「ゾーン」に入ってしまった状態になりました。以前みどりさんの演奏を聴いていると、そのあまりの緊迫感の強さに疲れ果ててしまう事が間々ありましたが、今回はまるでその音楽からエネルギーが放出され、自分の中にそのエネルギーが蓄積されてゆくのが強く感じられる希有の体験でした。日本では「元気をもらう」などと言う言い方が良く聞かれますが、そんな軽薄な言葉ではまるで足らない「満ち足りた」「満たされた」感覚の中に自分がありました。曲が終りたまらなくなって「ブラヴォー!」と立ち上がって叫びました。目の前に人知を超えた輝くものが出現した様に自然に涙があふれてきました。周りを見ると何人ものお客さんが涙をぬぐっています。私は恥ずかしさも何もない喜びに満たされた涙を久方ぶりに味わいました。
 

コンサート が終りミドリ財団のレセプションに招待された私達はみどりさんと言葉を交わす事が出来ました。一目で分かったのですが、ニューヨークでコンサートをすると彼女は一気に痩せてしまいます。オリンピックのマラソン選手がゴールインした時数キロ体重が減っているのと同様に肉体のエネルギーを絞り切った姿でしょう。しかし、その目は澄みきった違う種類の力にあふれ、私が素晴らしい音楽であった事を告げると、彼女はちょっと恥ずかしそうに微笑んで「ありがとう…」と言いました。そんな時みどりさんは世界的ヴァイオリニスト「ミドリ」から私達がよく知っている「みどりちゃん」になります。でも財団を応援している何十人ものパトロンに囲まれたみどりさんはすぐに財団の理事長、ヴァイオリニスト「ミドリ」に戻らなければなりません。個人的な感傷の時間は少な目に、と私達は早々に辞去しましたが、コートを着ながらこれから三日間彼女は同じホールで同じプログラムを弾き、この感動をお客様に与え続けると言う紛れも無い事実に思い至ると、(あの小さな体の何処にそんな力があるの?)とそれがにわかには信じられませんでした。
 

この夜 アヴェリー・フィッシャー・ホールで私達を含めた聴衆が聴いたものは確かに「音楽そのもの」でした。私はただ感動しました。そして翌日になって自分のフルートを取り出し、あの演奏のエネルギーが少しでも自分のものになる様にその夜の事を思い出しながら練習を始めました。

  2003年1月23日

相 場 皓 一   


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