第 9 章

教育ではなく開智こそ

 …開発・発掘   …智識と知恵





 図は学習と教育についての正しい解釈を示したものです。視るの上に観る(観照)があり、聴くの上に聰(き)く(聰明)があります。受身的な視聴覚教育から、積極的取り込みの観聰教育=学習(study)まで踏み込まれなければ身にはつきません。
 授業において、学生、生徒が好奇と感動を感じるような講義→ただ耳に入れるだけでなく「身に染(し)み込ませ、身につける」直接体験まで持ち上げる熱意と工夫が、先生の絶対条件で、先生は「噺家たるべし」…これは私の持論です。噺は国字で、知(知識と知恵)を吹き込んで、相手を感動させる意…。躾も国字で、これもよい字です。スポーツが楽しいのは、刻々の動作→技術が自分の工夫で向上し、身について行く喜びの直接体験だからです。
 さて、educationを教育→これは、実験・観察・討論=debateによって、自分で考えさせずに、ただ覚え込ませる一方的な詰め込み−と訳したのは明治政府の翻訳官箕作麟祥の重大な誤訳で、優れた個性を引き出し伸ばす=educeの意味が全く入らない…。イギリスの辞書による定義は図の通り…。
 明治5年、大政官布告で全国に小学校を作れという指令が出ました。時の長野県・県令(知事)永山盛輝は、早くも翌6年、全国最初の立派な建物の小学校を松本市に建て、開智学校と命名したのです。明治13年6月25日、明治天皇はわざわざここをご視察になられましたが、開智こそeducationの適訳なのに、これが定着しなかったのは誠に残念です。
開知による文明・文化への寄与→これがあなたの存在感の満足→生きがいですが、この農耕開始や工業化による不自然な人工社会は、重大なマイナス面→人口爆発、環境破壊、そしてあらゆる殺人兵器を産みました。
 民主主義、人権という私益と、全地球的(global)な人類生存という公益との間の矛盾・相克を、どう調和させるか、皆さんの生きる21世紀の大問題になりましょう。



第10章 あなたの体と心の遍歴図

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