私が生まれ育った足利学校、鑁阿寺周辺。市が誇れる地域である。私は昔から“歴史文化ゾーン”と勝手に称している。周辺住民の中には「静かな街が良かった」などという人もいるが、多くの市民はここを足利の顔とし、もっともっと賑やかで活気のあるエリアにして欲しいと期待を寄せている。市街地並びに足利再生に向けた拠点としてー。当該自治会は、構成メンバーに商人(あきんど)が大勢を占めるようになった現況を考慮し、より民主的に柔軟な運営に努めなければならないと思っている。
この“学校様”と“大日様”を結ぶメインストリート・石畳道は昌平町から大門通を走る。私なりに「市民も立ち上がろう!」と外蔵のレストラン、離れのギャラリー(現在はゲストハウス)、自宅の公開等(記念館)へと微力を注いできた。「自分はこの街のため、自身のため、何ができるか」を生きるテーマの1つにしている。
足利学校が復原された、25年前のこの一帯の姿を現在と比較してみると随分変化した事が分かる。テナントが増加し、空き店舗はほとんどなく、街並み景観も向上し、それなりに市民や外客にも楽しめる雰囲気が出てきた。より良いまちづくりにはある程度、時間の経過が必要だが、着実に前進しているように思える。ただ、公的組織等による一過性とも言えるイベントの域を、いまだ越えられない問題点も私は指摘しておきたい。賑わいのある時・場所にイベントを組む事を否定こそしないが、年間通して多くの人々に親しまれる街にするため、どうすべきか―と。
その昔、国宝・彦根城を視察した際「お城だけでは(観るだけでは)人を呼べなくなった」と、行政やまちづくりグループリーダーの解説を今でも時々思い起こす。“観るだけ”はとっくに終わり、拠点はもとより、その周辺の魅力的環境整備や人的交流が人々に感動を与えるという事を行政、商工会議所、また、私ども一般市民も改めてしかと認識し、論理を超越した、具体的行動を起こさなければならない。
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