2016年7月

2016年7月

・東京都議会がリオ五輪視察を取りやめ。“舛添事件”のほか都議会の公金使用問題等に対する都民(国民)・メディア批判への自己防衛だろうが、4年後の東京五輪の開催は都議会・議員としても極めて重要な公務であり、この“放棄”と受け止めざるを得ない。何とも情けない、我が首都・東京の政治家。
・梅雨空にしっとりと庭の緑が映える。外蔵活用の際、従来の塀を壊し、庭の3分の1を潰して駐車場にした事を想う。本来、住居・庭・住人を一体的なものとして「家(家庭)」と呼んだのかな?
・足利と同じ県南地区の栃木市が着々と「蔵の街づくり」を進めている。市長が変わっても20数年、一貫して市街地のブラッシュアップは止まらない。官民一体のまちおこしの理念さえ漂わせている。人口減少時代の地方都市の一つの生き方として注視。
・参院選立候補者の声が庭から聞こえて来る。今はすべての選挙にノータッチだが市議選に立候補したり、政治活動をしたり、大・中・小の選挙を戦ったりした自身なので、その時々を少々思い出す。門の中の人、塀の中の人、顔が見えない等々、悪評の中で小さな選挙戦に挑んだ私。有権者の中には心の乏しい卑劣な人たちがいる事も知った。でも、これも自身の生き様であり3期12年、「やった」のでなぜか悔いは残らない。

横田千之助

横田千之助 私は大正デモクラシーを牽引した政治家の一人、足利出身の横田千之助を独自に顕彰しているが最近、宇都宮在住のMさんから小説「横田千之助小伝(ヒューマニズムの織物)」の原稿が届いた。2005年(平成17年)、学習院大学卒業生(女性)が横田を卒論テーマに取り上げたが、これも手元にある。テーマは「横田千之助の政策と思想的背景」で、このYさんと指導教授が一緒に来館した事があった。約100年前に活躍した政治家を知る人ぞ知るではあるが、今でも忘れられていない事に喜びさえ感じている。横田は私の祖父の義弟に当たる。
 2008年(平成20年)の日経新聞に面白い記事が載っている。―政界では「一寸先は闇」という言い方をよくするが、この語源は横田千之助の「政界寸前暗黒」にある―と。
 大正末、激動の政局動かす。「苦学力行」深い人間愛。本県初の大臣等々、横田に関する書籍・新聞等多くの活字が残っていて、大臣に就いて私腹を肥やすような政治家ではなかったようだが、次の解説文によって横田をより知る事ができる。
 (横田は)鋭利な才能の持ち主であったが、若年の頃に苦労したため弱者に対しても気を配る几帳面な人物であり、政友会と対立する元老山縣有朋も横田の人格を高く評価していた。西園寺は原に続けて自らの政治的後継者とみなしていた横田を失った事を深く悲しんだ。さらにその悲しみが癒えない内に政友会が加藤内閣からの離脱を決めた事に激怒し、以後元老西園寺とかつて総裁を務めた政友会の関係に微妙な隙が生じる事になった。