中央地区土地区画整理事業の再開

 みだしの区画整理事業については、昨年12月の市議会本会議の和泉市長の答弁・説明内容の要旨が新聞報道された。どうやら「再開」の方向が確定したようだ。この事業は約6年間にわたり休止状態にあったが、これを受けて最近、関係住民・地権者、また、中心市街地再生を願う人々の間では、再び行政への期待感が高まっている。行政には、“6年間の停滞”を真摯に捉えて臨んでもらいたいものである。
 私が市議になって最初の一般質問は、1999年(平成11年)9月議会の中心市街地活性化に絞った内容だった。衰退が著しい市街地を何とかしたかったのだ。早川市長の答弁は「まず面的基盤整備(土地区画整理事業)から取り組みたい」―と、法律・中心市街地活性化法(略)に積極的に対応する姿勢を明らかにした。早速地元説明会をスタートしてくれたが、昨日の事のように思い出される。
 私は市職員として秘書課主幹・国際係長時代、早川市長に随行して中国・アメリカの友好・姉妹都市を訪問した。「これからは国際感覚を身につける事が大切」と、市長が何回か強調していた事を覚えている。私はこの時、後の議会で質問者(市議)と答弁者(市長)の関係になる事など予想すらしなかったが、“事実は小説よりも奇なり”であった。
 この区画整理事業は、早川市政から吉谷市政に引き継がれて法律決定され、事業に着手していたが突如、見直したいと言い出し、次の大豆生田市政に至っては休止したい、となってしまったのである。私はこの件で2人の市長と随分論議を重ねたが、厳しい財政状況への理解を求められ“執行権の乱用”に押し切られてしまった格好だった。自治制度上当然、議員よりも市長の権限ははるかに強大だが、史跡足利学校、鑁阿寺、織姫神社等を擁する“足利の顔”をブラッシュアップしたいとした早川市政とは、まったく次元の異なる判断が2人の市長にはあったのである。財政計画を見誤ったり、選択と集中の時代を理解されていなかった事が残念でならない。
 「足利の将来を考えた時、2つの国指定史跡の周辺整備は不可欠―」と、和泉市長はコメントしていたようだが、これが正しい決断なのである。ただ、私は区画整理事業が活性化策として万能とは思っていない。特に街中の場合、“修繕型基盤整備”に心掛ける事が必須であり、足利の歴史文化を消滅させるような手法であってはならないと思っている。市街地を再生させるためにはハードのみならずソフト事業も不可欠となるが基盤整備に連動させ、街並み景観、住環境、商業、福祉、歴史・文化観光等々多面的に配慮していく必要がある。高度経済成長期とは異なり、区画整理事業だけで街は活性化しない。「区画整理を行えば、残った土地の地価が上がり資産価値が高まる」などとした時世はすでに終わっており、真のビジョンを描き、住んでいい、働いていい、訪れていい街を市民と行政の協働により形成していく事が肝要である。人口減少時代が進行する今、将来を見据えた、いわゆる“コンパクトシティ”づくりをも念頭に置いて臨まなければならないはずだ。