簡易宿所型「ゲストハウス」オープンへ

shokoan_night 記念館敷地内での「ゲストハウス 松香庵」の営業許可が栃木県から下りた。許可は禁止の解除である。代表は家内だが私が補佐・共同する。対外的にアピールする名称は「足利/古民家/ゲストハウス・松香庵」となる。実は賃貸で約16年間にわたり活用していただいた、隣接する一戸建てギャラリーが昨年末で閉じられた。この明治期の木造古民家は、改装して現代に蘇らせたため1999年(平成11年)、市の建築文化賞を受けた建物であり、空き店舗にするには忍びないと、私は家内と共に自前の運用に向けてシフトしていた。古民家等歴史的建築物の活用については国を挙げて取り組み出してはいるが現状、記念館本体は民家そのままの活用以外では何をやるにしても大き過ぎ、関係法令の壁がまだまだ厚い。現実化するにはもう少し時間がかかりそうである。そこで記念館の宿泊棟、また、2つの国指定史跡の近くに位置する、小さな「山小屋風ゲストハウス」をイメージしギャラリー跡で準備を進めてきた。今般、建築基準法令・消防法令・旅館業法令上でクリアとなり、3月16日(月)から宿泊客を受け入れる予定とした。定員は5名(2段ベッド2、ソファベッド1)ですべてドミトリー(相部屋)である。当面は“足慣らし”の稼働になると思っている。
 この宿所型ゲストハウスは世界各国に普及しており、いわゆるバックパッカー(1人旅)に親しまれている。我が国では最近、京都、金沢、鎌倉など古都の町家・古民家を有効活用した事例が増加傾向にあり、日本型ゲストハウスとして国際的に注目を集めている。特に京都の街並み保存対策を兼ねた取り組みは、広く有益との見方が強まっている。日本の言葉や文化を学び合う場、さらに出会いを大切にする留学生等々、善良な外国人にも利用されている。
 我が国ではこの頃、男性はもとより女性1人の旅や仕事の出張が増えている。また、足利は市街地に川あり、山あり、神社仏閣ありで癒しの街として歴史観光、ハイキング、サイクリングのため首都圏から訪れる外客が多い。この方々に安価かつ安心して素泊まりできる環境を夫婦で提供し、足利の“温度”を感じてもらいたいと思っている。サービス業ではあるが形式ばらない、初対面であってもざっくばらんにみんなで仲良く暮らすような宿として「初めまして、いらっしゃい、またね」―と。私は過去40年近く、市職員・議員として公共の仕事に携わっていたので、彼らの聞き役と共にいささか足利を語れると思っている。街おこしを兼ねた、世に言う“中高年のベンチャー起業”かと、人生晩期に向けた仕事の1つにしたいと今、決意を新たにしているところである。
 松香庵は女性大歓迎とし、家族など男女混合の小グループも主な対象に考えている。もちろん外国からの留学生もOKだが、ならば日本人同伴がありがたい―と。宿泊のできるレンタルハウス、レンタルスペース、セミナーハウスとしてー。
 このゲストハウスのHPは近々、立ち上げる。詳細はHPをぜひ、ご覧いただきたい。

2015年1月

・新年・2015年になった。私は“生涯現役”を目指し、家内と共に新しい分野にチャレンジする年としたい。
・12月でテレビ朝日「ドクターX」が3シーズン目を終えた。「私、失敗しないので」「御意」―と。スーパーウ―マンの痛快な活躍ぶりは、「半沢直樹」と同様、娯楽番組として配役を含めてベストだった。果たして4回目はあるのか?

中央地区土地区画整理事業の再開

 みだしの区画整理事業については、昨年12月の市議会本会議の和泉市長の答弁・説明内容の要旨が新聞報道された。どうやら「再開」の方向が確定したようだ。この事業は約6年間にわたり休止状態にあったが、これを受けて最近、関係住民・地権者、また、中心市街地再生を願う人々の間では、再び行政への期待感が高まっている。行政には、“6年間の停滞”を真摯に捉えて臨んでもらいたいものである。
 私が市議になって最初の一般質問は、1999年(平成11年)9月議会の中心市街地活性化に絞った内容だった。衰退が著しい市街地を何とかしたかったのだ。早川市長の答弁は「まず面的基盤整備(土地区画整理事業)から取り組みたい」―と、法律・中心市街地活性化法(略)に積極的に対応する姿勢を明らかにした。早速地元説明会をスタートしてくれたが、昨日の事のように思い出される。
 私は市職員として秘書課主幹・国際係長時代、早川市長に随行して中国・アメリカの友好・姉妹都市を訪問した。「これからは国際感覚を身につける事が大切」と、市長が何回か強調していた事を覚えている。私はこの時、後の議会で質問者(市議)と答弁者(市長)の関係になる事など予想すらしなかったが、“事実は小説よりも奇なり”であった。
 この区画整理事業は、早川市政から吉谷市政に引き継がれて法律決定され、事業に着手していたが突如、見直したいと言い出し、次の大豆生田市政に至っては休止したい、となってしまったのである。私はこの件で2人の市長と随分論議を重ねたが、厳しい財政状況への理解を求められ“執行権の乱用”に押し切られてしまった格好だった。自治制度上当然、議員よりも市長の権限ははるかに強大だが、史跡足利学校、鑁阿寺、織姫神社等を擁する“足利の顔”をブラッシュアップしたいとした早川市政とは、まったく次元の異なる判断が2人の市長にはあったのである。財政計画を見誤ったり、選択と集中の時代を理解されていなかった事が残念でならない。
 「足利の将来を考えた時、2つの国指定史跡の周辺整備は不可欠―」と、和泉市長はコメントしていたようだが、これが正しい決断なのである。ただ、私は区画整理事業が活性化策として万能とは思っていない。特に街中の場合、“修繕型基盤整備”に心掛ける事が必須であり、足利の歴史文化を消滅させるような手法であってはならないと思っている。市街地を再生させるためにはハードのみならずソフト事業も不可欠となるが基盤整備に連動させ、街並み景観、住環境、商業、福祉、歴史・文化観光等々多面的に配慮していく必要がある。高度経済成長期とは異なり、区画整理事業だけで街は活性化しない。「区画整理を行えば、残った土地の地価が上がり資産価値が高まる」などとした時世はすでに終わっており、真のビジョンを描き、住んでいい、働いていい、訪れていい街を市民と行政の協働により形成していく事が肝要である。人口減少時代が進行する今、将来を見据えた、いわゆる“コンパクトシティ”づくりをも念頭に置いて臨まなければならないはずだ。

12月

 テニスの錦織圭、ロンドンでのATPツアー・ファイナルでも大活躍。快挙と言っていい。来季がますます楽しみだ。このローンテニスもテーブルテニス(卓球)もイギリスが発祥の地。感動!

高倉 健

 11月10日(月)、高倉健さんが83歳で逝く。極めて残念。「不器用・正義・男」を演じ続けた名優。網走番外地、昭和残侠伝、八甲田山、動乱、南極物語、冬の華、ブラックレイン、幸福の黄色いハンカチ、駅、居酒屋兆冶、ホタル等々205本に主演。あなたへ、が遺作となった。私は「あなたへ」を3回も観た。特に40歳代後半、東映を離れた後の健さんの映画は格別にいい。まさに我が国を代表する映画スターの1人だった。文化勲章受章。
 私は青春時代よりズーと健さんのファンである。「自分が納得できるストーリー、役柄でないと演じられない」と語っていた健さん。映画は娯楽であり、芸術でもあるが、俳優としての日常の生き方、考え方も重なって映像に迫力を与えていたのではないだろうか。
 普段は結構話し好きで冗談を飛ばし、人への気配りも細やかだったようだが、映画では寡黙の場面が多く、姿・目・表情・しぐさなどでの心中の表現はいつも見事だった。カッコ良さ、だけではない何かが健さんにはあった。
 私は市職員だったある時期によく口にしていた言葉がある。「公務員(勤め人)だって今、ドラマの中でそれぞれの役割を演じているのと同じだ。どうせだったらこの役柄に徹し、面白いドラマを展開しようではないか。筋書きがあって、筋書き通りいかない仕事・ドラマがいいなぁ」―と。
 健さんの新作映画をもう観る事ができなくなって残念だが今後も、テレビや映画館での205本の放映が末永く適時・適切に行われるよう、私は大いに期待しているところである。合掌。