戦争(敗戦)

yasukuni2 例年、8月を迎えると必ず考えさせられる事に第2次世界大戦終戦(敗戦)がある。すると沖縄地上戦、東京大空襲、広島・長崎の被爆なども同時に思い起こされる。私は終戦の翌年に生まれた者であり、これらの大惨事に直接遭遇した訳ではないが、実録フィルム、書物、映画等からこの悲惨さを知った。東京大空襲は一夜にして、死者10万人を超えるほどの“大虐殺”とまで報じられたが、我が日本も海外侵略を目的とし、規模の差異こそあれ他国に対し、やはり同様の攻撃を行った点は否定できないだろう。戦争にも一定のルールはあったようだが、実際は無きに等しい、と言える内容だった。日本人の国内外での戦争による犠牲者は、老若男女を合わせて300万人を有に超え、膨大な数に上ってしまった。私は特に、沖縄の実録フィルムにおける日本人の無残な姿を痛々しく思っている。家族や隣人が目の前で血だらけとなってバタバタ倒れ、恐怖におののいてブルブル震える男児の姿は、目に焼き付いて忘れる事ができない。この子は果たして生き抜く事ができたのだろうか?-と。
 終戦から69年となった15日の全国戦没者追悼式では、遺族たちの間に「日本はまた戦争ができる国になるのではないか」と心配する声が広がっている(下野新聞報道)―と。この追悼式における安倍首相のあいさつに「不戦の誓い」がなかった事も印象深い。最近、憲法第9条(戦争放棄)の考え方が政府の閣議決定を経て見直しされたが、日本がもし「集団的自衛権」を行使した場合を危惧するのは当然、私だけではないはずだ。

全国高校野球

glove 第96回目を迎えた全国高校野球選手権大会。これも毎年8月の恒例行事だ。甲子園球場では全国から選ばれた49校の若人が、今年もまた新たな“ドラマ”を数多く展開してくれた。
 私は高校2年・3年時、卓球競技でインターハイや全日本ジュニア選手権に栃木県代表として出場していたが、当時も高校野球の社会全般の扱いは別格に高いものだった。しかし、種目は異なってもスポーツの精神は同じであり、このテレビにより自身の青春が何回となく重なった。
 私はテレビでこの頃、プロ野球はあまり観戦していないが、なぜか高校野球だけは観る。若人が母校や郷土の期待を背負い、純粋に心身を精一杯燃やし、最後の最後まであきらめず、歯を食いしばって戦う姿勢が何とも美しいからだ。今年もまた、後半戦の逆転による決着が多かったのも甲子園ならではの特徴に思える。
 各チームの選手・監督・コーチはもとより応援団、いや、もっと多くの関係者を含め、勝っても負けても涙を流す顔々には、邪心が全く感じられない。私はここに大きな感動を覚える。栄光を獲得したのは大阪桐蔭高校だったが、私たちに“濁りのない光”を放ってくれた出場校すべてに“ありがとう”と感謝したい。「君たちはスポーツマンでしか味わえない悲喜を知る幸福者。君たちの前途は必ずや明るい」と言ってやりたい。

猛暑に思う

201408a 7月20日過ぎに梅雨が明け、本格的に暑い夏を迎えた。まさに猛暑だ。日中は35度を超え、また、40度に届きそうな酷暑の日も多い。雨の降り方にも異常性を感じるのは私だけだろうか。一体どうしたんだろうと、たびたび考える。テレビでは専門家を交えて異常気象の原因について解説し、併せて地球温暖化問題の議論も行われるのだがー。地球全体が狂ってきているのかもしれない。
 沖縄・九州・四国・中国・近畿地方等は例年、記録が示している通り、位置的に台風等の影響を受けやすい。しかし、この地域でもここ数年は、過去に経験した事のない豪雨による土砂災害等を被り、犠牲者が出る事も多く、被害内容の甚大さが尋常ではない。同情はできても変わってやる訳にもいかず、悔しい。
 南極の氷が溶けて海面は上昇中であり、二酸化炭素が増えて北極の氷が溶けると食糧難に陥るとか-? また、新興国では立木を輸出用として無制限に伐採しており、砂漠化は深刻な状態になっている。一方、地球全体で機密性の高い新建材が多用され、エアコン、パソコン、ゲーム、携帯電話等々、電化やIT社会は進化し続けている。本来地球が備えていた自然の節理が文明の力によって脅かされ、多くの“人災”が起こりやすくなっているとは言えないのだろうか。随分幼稚な発想と笑われそうだが、こんな夢を私は見る。世界中が経済、あるいは科学技術至上主義一辺倒になってしまったら、人間と自然が守ってきた地球環境は、一体どうなるのだろうかーと。世界中の政治家がもっともっと真摯に挑むべき、人類存亡をかけたテーマと言えるのではないだろうか。
 「木を見て森を見ず」であってはならないと思う、真夏の夜。

カブトムシ

kabutomushi 子どもの頃、カブトムシと遊んだ事は記憶しているが、私は特別な知識もなく、今に至っている。昨年、3匹のカブトムシを入手した事をきっかけにこの半月間、卵から孵化したカブトムシを飼ってみた。寿命がワンシーズンであり、貴重な生き物だ。我が家には丁度孫たちが滞在しており、夏休み中の遊びと勉強の一助にもなったように思う。時々オスとメスが戯れるが、これも可愛いものだ。
 毎日市販の餌を与え、スイカ、メロン、キュウリも付加してケースの中で順調に成育させたが、本来野生であるべきカブトムシなので、所有林(雑木林)に放してやった。クヌギやコナラと共生して将来、カブトムシランドにでもなってくれたら面白いと思っている。

懐かしのメロディー・映画

notebook 最近のテレビ番組で顕著な現象の一つに「懐かしのメロディー・映画」がある。私たち団塊の世代がおおむね第一線を退き、つれづれ日程で夜、特に跳び付くのがテレビなのかもしれない。高視聴率が見込めればスポンサーが次から次へと付き、それぞれ趣向を凝らして放映となる。まるで各チャンネル相互の競い合いかと思えるほど盛んであり、私もこの傾向を歓迎している。
 萬屋錦之助、鶴田浩二、石原裕次郎、美空ひばり、島倉千代子等々は故人となってしまったが、高倉健、小林旭、加山雄三、北島三郎等々は健在である。歌舞伎の名優を含め、この60年余の間、芸能界から名前を挙げたら切りがないほど多い事に自身で驚く。それぞれ当時のイメージがあり、随分年取ったな、と思ったりもするが、実は自分もそうなっている事を再認識する。まさに歌は世に連れ、世は歌に連れ―である。幾多の教えを受けた映画も現代に蘇り、涙腺が緩む事もあるが多分、私だけではないだろう。
 高倉健が文化勲章を受賞した時私は、心臓が破裂するほどに嬉しかった。昔は政治家や軍人の生き様が人々に生きる力と感動を与えたそうだが、今は芸能界やスポーツ界の人物の方が上を行っているように思えてならない。