人生“三毛作”

 我が国は超高齢社会に向かっている。人生は今や“三毛作”の時代になった。「~たった一度しかない人生を~活かさなかったら~人間、生まれてきた甲斐がないではないか」(山本有三)―と。
 私の場合、スポーツが好きで好きでたまらなかった、幼少から青春の頃までが“一毛作”、足利市職員・同市議会議員として、公共の仕事に携わった約40年間が“二毛作”、そして現在は“三毛作”目に入ったと自覚している。私の原点と言える、所有する古民家と森林の活用や整理整頓が言動の軸足となっている。人生晩期に向けた生き様はいかに―。すべて自身が決める事―と。
 青春時代の記録の一端はこちらまで。
 市職員としては、教育・企画・経済・総務等8つのセクションで公務を担当したが、特に国体事務局(昭和55年栃の葉国体)で競技式典担当責任者、人事課で職員研修係長、秘書課で初代国際係長の時の思い出は多い。51歳の退職時は企画部総括主幹だった。
 市役所入所は大学卒業後自家営業(林業)に従事して数年後の転身で、国体に卓球の栃木県代表として臨む前、市主催の壮行会の席で当時の町田助役との出会いがキッカケとなった。年功序列型人事の中、事務系の中途採用者としては極めて順調な歩みをさせていただいた。
 市議会議員としての記録の一端はこちらまで。
 私は過去よりも現在、また、未来の方が大切だと思っている。誰もが望んでいる事は、何かをやりながら“ピンコロ”で逝きたい、ではないか。