東日本大震災、東電福島第一原発事故

 3月11日、“あれ”から丸3年が経過した。“あれ”以来、これに関係する新聞・テレビ等の報道は、今でも毎日のように続いている。この事故は、広範囲にわたり人々の生活や人生を破壊し、地域を崩壊させてしまった。過去の広島・長崎の被爆、東京大空襲、第2次世界大戦敗戦等に匹敵するほどの惨事と、私は受け止めている。いずれも“人災”と呼ばれる所以があり、戦争放棄と原発廃止論は、人類尊重の観点から同レベルの見解と言ってもいいだろう。
 被災者救済のため充当する必要経費以外にこの、結果の見えない、垂れ流しとも言われる、事後処理等に関わる莫大な税金の投入について、一部でも、目先を変えて自然エネルギーの開発のため投資したとしたら、国民が果たして怒るだろうかと、私は考える。
 かつて、地球は平らと思われていたようだが、マゼランの科学的根拠に基づく報告によって丸いとなり、現代でこれを疑う余地は全くない。常識感は、科学技術の進歩や苦い経験によって変化する事があっても、何らおかしいものではないはずだ―が。

LEADERS(リーダーズ)

 TBS・2夜連続大型ドラマ「リーダーズ」は、見ごたえがあった。日本の未来を自動車製造にかけた、トヨタ自動車創業者・豊田喜一郎を中心とする、先駆者たちの勇気と信念の大要が明らかに映し出されたものだった。配役陣に一流どころを揃えた事により、迫力はさらに増した。
 今や自動車業界はもとより世界の企業の中でトップ層に位置するトヨタ。リーダーを筆頭に関係者の連帯とたゆまぬ精進により、幾多の苦難を乗り越えてきた経過の内容は、現代の起業家等に意欲と元気を与えた事だろう。私も大いに感銘を受けた。特に会社の何回かの苦境に際して行政、社員、取引先、金融機関等のサポート勢力の先見・洞察の重要性も浮き彫りとなり、全体的に“人間ドラマ”として構成された点は、実に見事だった。
 トヨタを代表とする日本の自動車界には、いまだに潰れた会社がない。多くの失敗から学んだとされるこの技術・開発力は、今や世界で最も優れている国と言えるのかもしれない。もちろん、それぞれの会社自体の不断の努力が最大の勝因であるのだーが。

庭を楽しむ

馬酔木 本格的な春を迎えようとしている3月下旬。気温も日に日に高まってきた。庭のアカマツ、モミジ、モッコク、カナメ、ビャクダン、ヒバ、カシ、キャラ、カツラ、サンゴジュ、イチョウ、シュロ、アオキ等の古木は、新芽を出したくてムズムズしている様子を表している。ボタン、モクレン、ツツジ、サツキ、ツバキ、サザンカ、ドウダンツツジ、カイドウ、ボケ、ナンテン、サルスベリ、シャクナゲ、シャラ、モクセイ、コデマリ、アジサイ、ヤマブキ、クチナシ、ハラン、シュウメイギク等もそうだ。只今、アセビ、スイセン、ユキヤナギ、また、ツバキの一部は開花中、紅梅とワビスケの白い花はほぼ終わった。
 その昔、日本庭園には山野草は植えないとされていたそうだが、私はこの掟を破り、レンゲショウマ、ムサシアブミ、エビネ、シラン、カンアオイ、ギボウシ、シュンラン、イカリソウ、カタクリ、ナルコユリ、ニリンソウ等を庭や鉢で育ててきた。失敗もあったが、大体は何とかなった。私の場合“庭いじり”の言葉が適切かもしれないが、結構な楽しみの1つになっている事は間違いない。所有林から採取してきたものもある。時々、所有林から土を持ち帰るが、これも不思議に充実感がある。
水仙 この時期は、実生(みしょう)から発芽した、庭の小さなモミジ、マンリョウ、ナンテン、斑入りのアオキ等を移植し、育てる事も可愛くて面白いものだ。
植物も生き物。いつも庭を眺めながら、できるだけ形を整えてやったり、花も季節に応じてきれいに咲かせてやりたいと思っているところである。

大雪とソチ五輪

 2月は近年稀な2回の大雪に見舞われ、私ども夫婦は、この除雪作業等にかなりの時間を費やした。古民家に降雪する風情は大好きだが、積雪はせいぜい10cm位まででいいと、私はつくづく思った。
 森林の間伐作業は通常、冬場ははかどるはずだが、肝心の林道等の残雪が凍結、山に入れない状態が続いたのは残念だった。
 しかし一方、ソチ五輪が開幕するや否や連日の熱戦、私はテレビ報道に見入った。スキーは、若き27歳の時にSAJ公認1級の資格を取得しているので、いささかだが理解できるつもり-で。
 一口にスキー・スケート、あるいは冬季スポーツと言っても、種目は多彩で多岐にわたっている。世界の頂点を極める、スポーツの戦いの美しさを改めて実感し、感動に次ぐ感動の日々だった。私はスポーツやスポーツ選手をドラマやドラマの主人公として捉える習慣があるが今回も、傑出したドラマを見ているような錯覚すら覚えたのである。
 技術・体力・精神力、選手・監督・コーチ・スタッフ、家族・仲間・友人・ライバル、国旗・日の丸、努力・挑戦・失敗・限界等々。
 日本代表選手のメダリストは、15歳もいれば40歳を超える人もいたが、どの選手も命運をかけ、素晴らしい戦いぶりを披露してくれた。とりわけ19歳の羽生結弦の金メダルはあっぱれ、また、浅田真央の奇跡とも言えるフリーの演技は、世界の人々を魅了した事だろう。悔しさを根性ではねつけた、完璧で涙のシーンは、さすがに真央ちゃんだった。
 困難に際してもくじけず、諦めず、焦らず、ひたすら前進-と、私たちに教えてくれた、ソチ五輪だった。

自治会

 毎年、春が近づくと企業や公的団体をはじめ自治会等、各種任意団体も新年度に向けて準備作業に入る。一般的に事業・会計年度が4月から翌年3月までとなっており、このためだ。各方面からいろいろな“情報・雑音”が入ってくるのも、この時期は格別に多い。
 自治会は全国的に行政町名ごとに構成されているが、これに加入しない住民(以下テナント含む)が増加傾向にある事は否めない。自治会に対する不満や反発、また、わずらわしい付き合いを拒みたい人などもいるが、いずれにしても自治会は基本的に任意団体であり当然、加入の義務はなく、強制されるものでもない。あくまでも住民それぞれの意思に基づき、結果的に自治会が構成されている事が原点だ。地域を緩やか、かつ民主的に自ら治めていくのが自治会本来の使命だろう。最近は構成メンバーの年齢を主な基準に“限界集落”との表現が学会・マスコミ等で、また、行政の下請け末端組織とも広く言われたりするが、これにも増して近隣に信頼関係を共有できない場合は、もはや地域・自治会が崩壊しているのと同然だ。
 自治会を強権的組織と勘違いしている御仁も時々見受けられるが、これは大変な間違いで、我が国は「法治」を基底とする自由主義社会である事を忘れてはならず、また、どなたであれ「基本的人権」が尊重されなければならない事は、私たちの基本法・憲法が保障しているところである。
 事の善悪は別として、地域とうまくやれない人をいわゆる“村八分”とした時もあったと耳にするが、今や葬式関係一切を業者が切り盛りする時世となり、行政情報はインターネット、人的交流はモータリゼーションの浸透で広域化―と、人々の自治会への帰属意識は著しく減退している。自治会に所属しなくても、自治会の行事以外では、わずかな差別も認められないのだ。
 人口減少、超高齢社会に向かう今、自治会の近代化と真の在り方を模索する、絶好の機会が到来しているのではないだろうか。