庭木の手入れ=解放感と緊張感

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201407b かつて外蔵を増改築して現代に活用する際、駐車場の必要性から正門を現在地に移設し、表庭を半分ほど潰した。私はこの程度ならば―と以来、6月は天候や時間の許す限り庭木の手入れ、草むしり、庭掃除に没頭する。この作業は真夏や盆を迎える前、庭木の姿を整えてやり、庭園の一定の景観を保つ事、また、花を咲かせる庭木は、この時期を逸すると翌年、花に恵まれなくなるからだ。毎年、いくつかの失敗があり、素人だからと自身に言い聞かせるがしかし、この時は残念で悔しい思いをする。通年で庭木をしっかり自主管理している人に、私は尊敬の念を抱く。蚊に刺される事は、子どもの頃から慣れているが、スキンガードは愛用している。「熱中症になりますよ」と、特に暑い時は1日に4~5回、家内に氷水を飲まされる。ありがたい事で、また楽しからずや―だ。
 暑い夏はアカマツやモミジをはじめ、庭木はしっかり葉を伸ばして日光が家の中に入りにくくし、寒い冬は葉を落として庭を明るくし、日光が家の中に入りやすくする事とした。これはエアコンのない時代の四季を考慮した住居と庭園づくりの生活文化であり、私には多少理解できるところである。
 里山・森林の手入れを怠ると根の張り方が弱く、降雨による土砂災害が起こりやすくなるが、この庭園も同じで、おそらく建物の地下は庭木の無数の根で覆われており、保水力アップとともに地震災害等への抵抗力を高めてくれているものと感謝している。
 日頃、古民家を記念館として公開し、加えてイベント会場や撮影スタジオとして多くの方々にご利用いただいている事を考えると、年間を通してそこそこの庭園環境は、保持していなければならない。「記念館も庭園も維持管理が大変ですね」と、いつも来館者等から同情の言葉をいただくが5年、10年のうちには先々の事を踏まえて考えよう、と思っている。ただ、今は私の心身の健康づくりのためプラスに作用しており、裏を返して言えば、これが古民家の活用に伴い生じる「効果の1つ」ではないだろうか。
 「脚立から落ちないように」と、心配して来館者等からアドバイスも受けたりするがその通りで、元スポーツマンであっても自信過剰は禁物だ。一つ間違えれば死亡事故まであり得るのだ。時々、手を伸ばしすぎたりして危険な状態に陥るが、年齢や体力に応じ、十分注意して臨まなければならない、と戒めている。当然、アカマツ・カシ・カナメ・イチョウ・ビャクダン・カヤ・モッコク・モミジ・アオギリ・シュロ等、高木の手入れは無理せず、毎年12月下旬、プロに委ねている。
 里山・森林と同様、庭園の空気もうまい。不器用な私には、どうやら解放感と緊張感を同時に味わえるイタズラ、趣味として庭木の手入れが定着してきたようだ。

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陽春の雑感

 4月下旬から5月上旬は例年、足利学校や鑁阿寺を訪れる人が多く、記念館周辺の石畳道は“人の山”となり、各飲食店とも時間帯によっては“お断り”となる。行政・商工会議所・商業会・まちづくりグループ等は各種イベントを組み、祭りとして盛り上がりを見せる。この賑わいの主な要因は①GWであり、②あしかがフラワーパークのフジの花、でもある。しかし、通年型で活気のある地域になるには、まだまだハードルは高い。
 この時期は記念館の入館者も多い。「建築・生活文化上の公開です。電気料等、管理運営費の一部を入館料としてご負担いただいています」―と。東京・千葉・神奈川・埼玉・茨城、また、近隣の群馬・栃木は多いが、時々関西・九州・東北等、遠方からも迎える。「日本家屋が好きなんです。子どもの頃、こういう家に住んでいたので懐かしいんです」等々、古民家に関心のある方々との会話は弾む。旅人の共通点は、何よりも地元の人との対話を楽しみにしているはずだと、私は思っている。この際、足利のPRにも心掛けている。
 「最近の新築住宅には、畳の部屋や床の間を設けない人が増えていて残念です」と、我が国の伝統工法に精通する建築関係者はこぼす。私は入館者の内、特に若い方には「将来住宅を新築する場合にはぜひ、一部屋でも畳の部屋を」―と、呼び掛けるように努めている。日本文化の一面が危うい昨今を心配して―。 国は最近、古民家等歴史的建築物の活用に向けて動き出した。建築基準法・消防法・旅館業法の適用除外など、日本経済再生本部は全国規模の規制改革に取り組み、具体的に乗り出した。京都の町屋の取り壊しのような遅きに逸した事例は多いが、私にすれば日本が進むべき当然の方向だと思っており、国レベルで行政が目覚めてきた事を高く評価している。課題は、久しく“新建材と使い捨て文化”に浸ってしまった国民が、等しくこの価値観を共有できるかどうかだ―が。
 那須塩原市のUDホームは最近、古民家仲介事業のための全国的ネットワークを立ち上げた。40団体が連携するようだ。また、複数の大手企業も古民家再生ビジネスへの取り組みを強化している。ようやく“この分野”が面白くなってきた。17年ほど前、自費で古民家公開・活用に踏み切った頃の想いが、広く現実化してきた事を知って私は、実に嬉しい。

中央地区まちづくり会議

blog201406b  みだしの中央地区とは、井草町及び通2丁目・大門通の一部で4ヘクタール余のエリアを指す。5月27日(火)、中央地区まちづくり会議総会が行政の担当部・課長等も同席して開かれ、市長宛要望書を満場一致で決議、大竹会長から相川部長に手渡された。この要旨は次のとおり。

中央地区土地区画整理事業
の再開について(要望)
 みだしの土地区画整理事業につきましては15年ほど前、行政から「市民と行政の協働のまちづくり」の一環として実施したいとのご提案を受け、関係住民・地権者の意向も踏まえて法律決定に至った経緯があります。しかしこの、行政の事情による現在の「休止問題」の継続は、地域活性化を逆行させる要因の1つになっておりぜひ、早期に再開されますよう、ここに要望させていただきます。
 日頃、多くの関係住民・地権者から「再開したら積極的に当会議に臨みたい」との声をいただいており、史跡足利学校や国宝・鑁阿寺周辺及び中心市街地の再生のためぜひ、特段のご配慮をお願い申し上げます。

●法律決定―事業進行―見直し―休止―と、2人の市長の執行権の乱用により、行政が理不尽な経過を辿ってしまっている事は、全国でも極めて珍しく、私は残念に思っている。休止からすでに5年。関係住民等に対し、3階以上の建物の設置は認めない等々、規制(しばり)をかけたままの状態が続く。増してや“足利の顔”と言われる、足利学校と鑁阿寺のすぐ近くでの出来事。和泉市政やいかに?

足利市議は過去

えびね 「Yさんがいなくなったので今度は大丈夫。市議会に復帰して欲しい」と、市民の方々から異口同音に求められる。「そうだ、早いものであれから3年が経ち、来年4月は統一地方選挙だ」-と。
 私は3期12年間にわたり市議を務めさせていただいた。それ以前も市職員として公共の仕事に携わっていたので、市長側から転身しての奉職だった。自治制度上、市長と市議会は対峙の関係にあるが、双方とも大義は「我がまちのため」と共通しており、私は政策提案型の市議になる事を公約の1つにし、実践した。選挙では、家族・親戚・友人はもとより多くの方々のお世話になった。しかし、4度目の市議選をしくじった事は、自己責任だと思っている。
 正直言って私は、公共の仕事は大好きだったが、選挙は大嫌いだった。当然、選挙を越えなければ市政に参画する事はできないのだーが。しかも市議選の特徴は、候補者の①所属地区が大きい(有権者が多い)②市内に親戚が多い③市政(市役所)と利害関係のある会社・団体の支援が多い、が一般的に有利とされているので、これらにも該当せず、真の支持者にはご迷惑をお掛けしてしまった。最も小さな選挙特有の難しさも至る所で味わった。有権者の心中は、多種多様でそれぞれの思惑が絡んで複雑、また、心の豊かな人もいれば貧しい人もいた。
 前回の市議選を振り返ると、私と所属地区が同じで、この特徴を良く知るYさんの運転手(秘書)が立候補するとともに、他地区に住んでいながらなぜか、この事務所を私の自宅からわずか30mほどの所に構えた。選挙の好きな歯医者と、いつもご自身で口にしていたYさんだったが、良識を疑いつつもさすがに、と思った。確か2月だったか、某県議から「厳しいよ、でも、あんたに土下座までして戦え、とは言えない」―と。私はYさんに新日赤の薬局施設設置等、政策・施策面では勝ったが、選挙は僅差で敗れた。しかし、地方議員であるがゆえに12年間、政党政治よりも「地方自治の理念」を重視した言動を貫いた事に悔いはない。その後、間もなくYさんはなぜか、急逝してしまった。
 3人の市長との論戦、また、限られた、質の高い国議・県議・市議との論議が懐かしく、走馬灯のように蘇るが、私は「バッジなんか付けなくても、社会に奉仕する事はいくらでもある」と、遠く先人から受けたアドバイスにこの頃同感、他にまだ、やるべき事がたくさんあるように想えてならない。
 私の市議としての活動・生活は、“人生の1ぺージ”として過去の事にしたが、良き思い出も多く、これは永遠に心に残していきたいと思っている。

赤木明登展、クレイアート展

赤木明登展 4月は表題の2つのイベントが記念館で開かれた。準備日程を含めると4月15日(火)~27日(日)の連続13日間に及んだ。どちらも魅力的作品+無料公開であり、入館者数は通常をはるかに超える賑わいだった。会場担当の記念館としても、夫婦共々“うれしい悲鳴”を上げた。
 赤木さんは奥能登の輪島を拠点に、日常の生活道具として「ぬりもの」の世界を切り開いてきた人。「漆塗師物語(文藝春秋社)」、「美しいもの」「美しいこと」「名前のない道」(いずれも新潮社)等々、多数の著書もあり、テレビ出演や講演も行っている。作って良し、書いて良し、話しても良しーだ。銘酒にも強い。私も漆塗師物語を読んだが、彼の生き様が鮮明に解る。日本の伝統工芸を斬新なタッチで継承する作家で、ドイツ国立美術館「日本の現代塗り物12人展」を構成した1人。各方面から将来をさらに期待されている“輪島職人”である。
クレイアート展 一方、クレイアートを愛好する「野あそびの会」は、足利地域を中心に20名ほどで活動しており、リーダーの川島照代さんを筆頭にチームワークが良く、作品の説明やら湯茶の接待、また、多くの来場者との懇談等、きめ細かな“もてなしの心”が受けていたようだ。記念館には毎日、明るい笑い声が堪え間なく続いていた。
 建築・生活文化上の観点から、記念館として公開・活用して17年余。日本に残る木造建築物の活用度が最近、国内外の方々の間に高まってきている事は、誠に喜ばしい限りである。
 昨年来、記念館でのイベント開催も増加傾向にあるが、特に春や秋の時季はお勧めであり、古民家の一層の活用とともに足利の文化振興のため、今後も多くの方々にご利用いただければ幸いである。
 当HPのイベントスペースもぜひ、ご参照いただきたい。