日韓合作ドラマの撮影

dorama201507a 久しぶりに当記念館でムービー撮影が行われた。「昔の彼女を忘れられない男。死んだ彼を忘れられない女。見ず知らずの2人が国を超え、LINEを通じ出会う純愛ラブストーリー。韓国と日本をまたいで撮影する日韓合作ドラマ」だった。当記念館はこの主な撮影所の1つになった。ロケハンの際、この脚本にマッチした建物、庭園、正門、風情として、韓国2名の監督が当記念館を気に入ってくれたらしい。
dorama201507b 6月下旬に機材や小道具が大量に搬入されて会場設営し、7月上旬の数日間にわたり、毎日50~60名のスタッフが出入りしての大掛かりなものになった。撮影終了時刻が毎朝3時頃で、私ども夫婦も1日の睡眠時間は大体2、3時間だった。まだまだ生きられそう―(笑)。私は5~10余名のスチルやミュージックビデオの撮影には慣れてきているが、ムービー撮影は相変わらず大変で全体的に緊張感が漂い裏舞台の迫力も比ではない。数台の大型撮影機(カメラ)・照明・音響・セリフ・道具・化粧・通訳・輸送・会場設営・ゴミ処理係等々、大人数のスタッフが監督や両国中心メンバーの采配を受けて機敏に対応する。私にはこれもまさに“ドキュメンタリードラマ”と映る。この集大成が「作品」と言えるだろう。
 撮影開始後次第に、周辺にいわゆる“追っかけ”なる人々の姿が増加しつつ目に入った。世代間ギャップなのか、韓国ビッグバンのTOPと上野樹里、福田沙紀の人気は、私の想定をはるかに超えるものだった。ネットに「TOPは今日の午前中、東京の渋谷で撮影していたのにもう足利」「松村記念館の灯籠が出たが間もなく消えた」「TOPの睡眠時間が4日間で10時間とか可哀想」等々、日本ファンの叫びを私も知った。「TOPが足利にいるなんて信じられない」と、メイク室になった敷地内のゲストハウス松香庵を盛んに覗き、なかなか離れようとはしなかった。このほかにも彼女等の興奮・感激の声を直接耳にしたが、このドラマは世界でヒットするかもしれない、と私は思った。
 ムービードラマの製作会社にはいろいろあるが、事前協議、情報交換の密度はまずまずで、今回も両国の制作会社に恵まれたと思っている。タフな裏方スタッフと一体的に会場設営等に携わった事は、私ども夫婦にとって良き思い出になるだろう。床の間の掛け軸はすべて当記念館の時季物を使用した。
 私のデジカメでは主に庭園パーティーの撮影準備中の場景しか写さなかった。当記念館敷地・建物内随所で撮影は行われたが、邪魔をしてはいけないと思い自粛した。
 撮影終了後、韓国のスタッフ幹部から通訳を通じ「予想以上に良い撮影ができました」との言葉を受け、私の心中には、何よりもまず安堵感が走った。ムービー撮影もたまにはいいものである。

サルスベリ(百日紅)

sarusuberi_a 夏を代表するサルスベリの花が咲いた。花を100日も咲かせるので百日紅(ひゃくじつこう)とも呼ばれる。木登り上手のサルですら滑って登る事ができないと、この名前が付いたとの事。年々、幹・枝・花もしっかりしてきた。原産は中国のようだが、日本では古くから親しまれているらしい。
 このサルスベリには特に私の想い入れがある。1982年(昭和57年)8月1日に父が他界したが、この頃大型台風が関東を襲い、この影響で庭園西側にあったサルスベリの古木・大木が同日、幹の中段から折れて道路上に倒木した。その後残った幹を現在地(正門近く)に移植したが、これまた倒木、根元を残すのみとなってしまったのである。翌年、根元から芽生えた数本の苗木を以後大切に育て、7、8本を順次5本、3本、2本、1本とした。一見2幹立ちのように見えるが1幹立ちで今、これが立派に成長し、写真のように多くの花を咲かせるようになったのは嬉しい。父の形見、我が家の新生サルスベリ、樹齢20年といったところか。
sarusuberi_b  1901年(明治34年)、県内有数の多額納税者の長男として誕生した父は第2次世界大戦敗戦後、私が生まれた1946年(昭和21年)11月、GHQの指導による国税・財産税の賦課で総資産の70%を失い、またその後、同じくGHQの指導による農地改革で田畑の大半を失った。
 このサルスベリを見るに付け、父なりの波乱万丈の人生を想うと同時に、子として感謝の念を強く抱くのである。

2015年6月

ゲストハウス松香庵の2か月

松香庵201506a   近隣では珍しいゲストハウスをスタートさせて2か月余が経過した。当面は閑古鳥が鳴くだろうと想定していたが、結構の利用客に恵まれ、楽しい出会いのひと時を過ごしている。目下、足慣らしには丁度いいペースか。ゲストの第1号は、元小学校教員で群馬ひとり旅の男性。第2号は「ココ・ファーム・ワイナリーに行ってきました」と、大阪からひとり旅の知的な若い女性だった。礼状までいただいた。今まで迎えた数十名の内、女性の割合が80%を超えている。松香庵201506b
 外資系企業の4か国語に精通する女性社員、東京都○○区女性職員、中国人女性留学生・旅行者、タイ人女性旅行者、県内の女性住職や女性グループ、○○県庁職員夫妻、地元のご家族・グループ、アメリカ人男性のひとり旅、サイクリングの得意な東京の男性、ツーリングの好きな札幌の男性、関東一円また遠方から若い女性のコスプレ撮影グループ等々、バラエティに富んでいる。大半の方々がゲストハウスの利用マナーを心得ていて、提供者側も実に気持ちがいい。「ゲストハウスのある街が面白い街」と思っている若者が多い事にびっくりした。また、私が常々口にしていた、東京―足利―栃木―日光・那須方面のコースをたどる人も複数いた。
松香庵201506C 1泊、2泊する旅行者等の滞在行動は意外で、群馬の富岡製糸場(世界遺産)、同じく富弘美術館、あしかがフラワーパーク、ココ・ファーム・ワイナリー等がメインで史跡足利学校、鑁阿寺、織姫神社等は、私が説明を付加する事により訪れてくれている。私の後輩・市職員幹部の中には、まだまだ可もなく不可もない「事なかれ主義」に浸っている者もいて残念だが、名実ともに官民一体となって、市内外にもっともっと足利のインパクトを強めたいと思っている昨今である。

コスプレ人気上昇

コスプレ201506a 当記念館は2013年8月1日に仮装文化振興会・コスコテ(コスプレイヤーズ・コテージ)と提携して以来、それまでのムービー・スチル撮影以外にコスプレ撮影も受け入れている。古民家の有効活用とともに「まちおこし」を念頭に入れてのシフトだった。我が国のコスプレは年々、日に日に社会的認知度が高まりアニメ、インターネットゲームの普及に連動して世界に発信されている。テレビではNHKにしても民放にしても好感を与える内容の放映が多くなった。若者文化の1つとして定着してきたのだろう。
 この「古民家そのままスタジオ」は次第にコスプレイヤーの間に知れ渡り、最近の利用頻度は高まっている。関東エリアはもとより、関西・東北方面等遠方からの来館もあるが、リピーターが増加傾向にある事は喜ばしい。彼女等が市内で飲食をしたり、タクシーを利用したり、買物をしたりしている姿になぜか嬉しささえ感じる。
コスプレ201506b ふと、パートナー(コスコテ)に恵まれた事以外の要因を考えてみた。①古民家そのままスタジオであり、庭園もある事。②使用謝礼金が東京・神奈川など首都圏のスタジオに比較して格安である事、かな?―と。ビルの中で庭園もなく、今様の造りで不自然、しかも使用料が当記念館の3倍から5倍にもなってしまう事。交通費をかけても安い、広い、本物の座敷・庭園・小道具等で自由に伸び伸びと撮影を楽しめるのではないか―と。
 当記念館としては少人数(原則10名以内)であっても、日々継続的に若者を受け入れる現在の形態は今後も当分、地道に臨んでいくつもりである。明るくて礼儀正しい彼女等との交流も楽しい。
 実はコスコテと協調して過去2回、行政(市街地整備課)、鑁阿寺、足利学校のご理解を得て当記念館周辺で「足利歴史文化ゾーンイベント」を開催したが、それぞれ100名を超えるコスプレイヤーとカメラマンで賑わいを見せた。イベントは一過性との持論もあるのだが、効果がない訳でもなく現在、第3回目の実施に向けて検討中である。

産経新聞記事(刀女子)